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子供たちの「リンカーンの伝記」は間違っています。(その3)

 投稿者:真実を求めて  投稿日:2013年 9月 7日(土)01時41分22秒
返信・引用
  題:子供たちの「リンカーンの伝記」は間違っています。
                 (その3)

 南北戦争後のアメリカ南部には、
 黒人を虐げ、殺す暴力集団=KKK(クー・クラックス
・クラン)という組織ができ、
 またそれ以外にも、
 「黒十字騎士団」や「白バラ騎士団」や「白ツバキ騎士
団」など軽蔑すべき集団ができました。
 この様な、黒人の方たちを暴力的に虐げる秘密結社が林
立しました。
 黒人の方達へのテロが横行する暗黒のアメリカに化して
行きました。
 黒人の方たちは、白人優越=黒人蔑視の人種差別に耐え
抜くしかありませんでした。
 しかし、
 黒人の方たちは耐え忍んだとしても、
 黒人と白人の関係改善の社会の動きは、
 それらの動きに対して、耐え抜く事が出来ませんでした。
.
 奴隷解放の動きにあった共和党でさえ、
 何と、分裂し、
 民主党と手を結び事態を悪化させました。
 黒人の方たちの期待は、完全に裏切られました。
.
 解放民局は活動を停止しました。
.
 そしてまた、
 反動的な「大赦法」という法律がが成立しました。
 その法律によって、
 黒人奴隷を虐げた旧南部の支配階級の政治的諸権利が全
面的に復活しました。
 旧組織人たちの追放は、完全に解除されました。
 このことにより、
 以前の虐げ状態に戻りました。
 南北戦争の黒人奴隷の方たちの働きは無に帰してしまい
ました。
 事態は、完全に悪化し、決定的となりました。
 民主党が、選挙で議会の議席の多数を制しました。
 これは、奴隷解放の民主的再建の終焉を意味しました。
 そして、
 続いた大統領選で面倒なことが起こりました。
 この解決のため共和党は、
 南部に駐屯していた連邦軍を撤退することで事態の解決
をはかりました。
 南部は、民主党の支配下にゆだね、黒人の方たちの期待
は完全に裏切られました。
.
 南部の再建運動は、完全に挫折となりました。
.
 南北戦争は、そして、その戦争で亡くなった方々は何だ
ったのか?
 また、
 黒人の方たちの頼りだった北部も、
 独占資本家による厳しい状況から、労働者のストライキ
が続出し、軍が出動しなければならない状況でした。
 黒人の方たちは、
 北部の独占資本家と南部のプランテーション経営者との
連合支配下に置かれるという「より厳しい状況」に置かれ
ました。
 (北部の独占資本家にとって、南部は有望な国内市場と
映りました)
.
 黒人の方たちは、強靭さがより増した圧迫状況に、また、
置かれてしまいました。
.
(参考-1):wikipediaより
 リンカーンは、
 奴隷解放宣言によって黒人(混血のものも含む)の奴隷
を解放したことで賞賛される。
 しかしながら、
 リンカーンは、本来、奴隷解放論者ではなく、
 実際には連邦軍によって制圧された南部連合支配地域の
奴隷が解放されただけであって、奴隷制が認められていた
北部領域では奴隷の解放は行われなかった。
 宣言は、南部州における奴隷の反乱・逃亡・ボイコット
の効果を狙い、実施されたものであった。

(参考-2)
 アメリカは、1789年に合衆国憲法制定(「3/5条項」や
奴隷貿易存続などを承認したことにより、憲法が黒人奴隷
制度を容認した)。
 1793年、逃亡した奴隷は殺しても良いという条項もあ
る逃亡奴隷取締法が成立。
 そして、アメリカの事実上の奴隷解放は、1865年の憲
法修正第13条(奴隷制度廃止)の成立時である。
 そして、1868年の憲法修正第14条(黒人の公民権付与)
の成立時である。
 そして、1870年の憲法修正第15条(黒人の選挙権付与)
の成立時である。
 デンマークは、すでに、1802年に、自国領内での奴隷
貿易を禁止し、イギリスは、1808年に、奴隷貿易を禁止し、
フランスは1819年に、奴隷貿易を禁止している。
 1850年には、アメリカは、いっそう強力な逃亡奴隷取
締法を制定している。
 1860年にリンカーンが大統領に当選し、1865年に、リ
ンカーンが暗殺されおり、この年に、悪名高い黒人殺戮集
団KKKが結成されている。尚、1924年頃には第2次KK
Kの活動が盛んになっている(会員数は約500万人)。
.
(参考3)1860年に出されたリンカーンの予備宣言は、
南部諸州が治安回復に努めるならば、奴隷解放の必要はな
いと明記されている)

(参考4)北部軍が戦いで占領した地の南部軍の奴隷をど
うするかについて議論がなされた。
 北部軍の将軍の名に、その奴隷を解放するよう指令をし
た者も居たが、リンカーンはそれを取り下げた。
.
  (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/
 
 

子供たちの「リンカーンの伝記」は間違っています。(その2)

 投稿者:真実を求めて  投稿日:2013年 8月24日(土)00時07分42秒
返信・引用
   題:子供たちの「リンカーンの伝記」は間違っています。
                   (その2)
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 リンカーンも仕方なく、国会の動きもあって、
 奴隷解放予備宣言を公付する事に踏み切りました。
 (注:1860年に出された予備宣言は、南部諸州が治安
回復に努めるならば、奴隷解放の必要はないと明記されて
いる)
 しかし、
 この時点に於いても、
 リンカーンは、奴隷の即時、無条件、全面解放をためら
っていました。
 宣言に、布告に縛(しば)られない例外地域を作ったり、
反乱してない地域は含まれないなどと例外規定を作ったり
していました。
 この後、2年も続く血みどろの戦いを経て、
 黒人の方たちの目覚ましい戦いぶりも加わって、
 1865年に憲法修正第13条が制定されるまで、
 リンカーンの不決断の影響は続きました。
 この憲法に及んで、やっと、
 このアメリカ黒人奴隷の方たちは自由を勝ち取りました。
 しかし、悲しいかな、
 これもつかの間の事でした。
 黒人の方たちのこの戦争における果たした役割は目覚ま
しい働きでした。
 それは、
 北部の軍事的勝利を最終的なものに導いた原動力の中で
も、
 際立って大きく重要なものでした。
 それは、
 黒人の方たちが、決してこの戦争を「白人の戦争」と考
えていなかったことに由来しています。
 その働きに至る一つの査証・1事例が、
 ニューヨークの黒人たちが、
 北部軍に参加して、戦うために、自分たちで軍事組織を
つくり、軍事訓練に励みました。
 そしてそれらは、
 リンカーンの黒人の軍隊参加の不決断に対する行動でし
た。
 ボストンでは、
 黒人集会の宣言:
 「私たちは、すでに用意が出来ています。私たちは、私
たちの生命と財産と名誉をかけて、自由のために、良き市
民として、
私たちの政府を守る覚悟が出来ています。
 私たちは、みなさん に、このことを訴えたいのです」・
・・と、宣言しました。
 しかし、
 リンカーンは、黒人の軍隊編入をためらい続けました。
 リンカーンのためらいに、しびれを切らした、多くの黒
人奴隷の方たちが、
 北部軍の将軍の元に馳せ参じる事態が起きました。
 そして、
 その多くの黒人の方たちは、
 戦争のあらゆる軍務に挺身しました。
 (てい‐しん【挺身】 [名](スル)率先して身を投げ出
し、困難な物事にあたること)。
 この時点になって、
 やっと、
 リンカーンは、
 黒人の軍隊編入を承認しました(これを「事後承認」と
言います。「後追い承認」とも)。
 しかし、黒人兵は、
 白人兵の給料の半分などと、さまざまな差別を受けまし
た。
 それでも南部軍に捕えられると殺される黒人兵士は、
 白人兵士にみられないほどの果敢な働きをしました。
 可哀想な事に、
 黒人兵士の死亡率は、
 白人兵士の死亡率より35%も高かったのです。
 厳しい戦況の中におかれたのかもしれません。
 1865年、4年に渡った南北戦争も終結しました。
 ここには、
 初めに黒人を「目覚めさせ」、「希望を与え」、そして、
「まとめ」、「指導した」、黒人の黒人解放戦士『フレデ
リック・ダグラス』が、これらの根幹に存在しました。
.
 子供たちの「リンカーンの伝記は間違い」なのです。
.
 リンカーンが、黒人を解放していないことがお分かり戴
けたと思います。
.
 子供たちの伝記は、書き直しの必要があります。
.
 リンカーンは、1865年、ブースという凶漢の手によっ
て殺され、生涯を閉じました。
 しかしここで、
 卑劣な事ですが、
 この南北戦争の後、
 黒人の方たちの戦いの血によって勝ち得た「黒人奴隷の
解放」という輝かしい成果が無に帰して行きました。
 敗北した南部の諸州は、
 次々に自前の『仮の政府』を組織するという事態が発生
しました。
 こともあろうに、
 旧奴隷所有者は、政権へ復帰して行きました。
 そしてまた、
 こともあろうに、
 奴隷制の復活の企てをしました。
 それを示す1事例、
 サウスカロライナ州の憲法制定会議での演説は最悪です。
 「これは白人の政府であり、白人だけの目的としたもの
である。最高裁判所は、黒人はアメリカ市民ではないとの
決定を下している」・・・と、公然と述べています。
 また、
 フロリダ州では
 「解放令によって、黒人奴隷は、自由の身になったと宣
言されても、黒ン坊はどっちみち奴隷みたいなものだ」と
の軽蔑すべき声がある様な有様でした。
 この様な中で、
 悪名高い「黒人法」がつくられました。
 この法によって、
 黒人の方たちに、多くの制限が加えられ、
 黒人を土地に緊縛(きんばく)し、
 強制労働や不払い労働に服させる結果となりました。
 そして、
 黒人の方たちを経済的に締め付けました。
 (アメリカでは、現代でも黒人の方たちへの人種差別や
偏見の改善闘争が続いています)。
 この様な様相の底流には、キリスト教によって強く洗脳
された「黒人の方達への偏見」があります。
.
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/
 

子供たちの「リンカーンの伝記」は間違っています。(その1)

 投稿者:真実を求めて  投稿日:2013年 8月22日(木)12時38分35秒
返信・引用
  題:子供たちの「リンカーンの伝記」は間違っています。
                   (その1)
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 リンカーンは、「黒人奴隷を解放した」と言われていま
すが、間違いです。
 彼には、黒人奴隷を解放したいという希望や意志は全く
ありませんでした。
 リンカーンの黒人奴隷解放の意思は、「事の成り行きか
ら持った」という状態でした。
 その様に仕向けたのは、
 黒人の黒人奴隷解放戦士『フレデリック・ダグラス』で
した。
 また、その組織の働きかけがあったから、その方向に流
れただけです。
 これが真実なのです。
 子供たちの伝記には、『間違いが書かれております』。
 正しい内容に書き換えられなければならないのです。
 キリスト教には、「黒人は人ではない」とみる歴史があ
ります。
 この様な見方に影響された人々がしたことは、
 黒人の奴隷解放に一旦ちょっぴり傾いても、至っても、
直ぐに『自分たちの利』にとらわれて、元に戻ってしまう
という事でした。
 悲しいかな、黒人の方たちは、
 「人間ではない、奴隷という原罪」があると理由づけら
れた考え方をされていました。
 特に、
 アメリカ南部は、現在も「バイブル・ベルト」と言われ
ている様にキリスト教徒が多い地帯。
 ここの地に、黒人奴隷の悲しい歴史が刻まれました。
.
 奴隷制は、疑問なく容認する考え方の地でありました。
 キリスト教聖書に説かれている奴隷制、アメリカ南部の
人達は、当然のごとく、奴隷制を容認し、黒人の方達を奴
隷として虐げました。
 そして、この南部の奴隷制寡頭勢力は、(かとう‐せい
【寡頭制】 少数者が権力を握って行う独裁的な形態)、
 自分たちの利が脅(おびや)かされるに及んで剣を引き
抜き南北戦争を起こしました。
 自分の意に合わない相手を殺す教義「異教徒は殺せ」の
教義のままに「考え方の違うものは滅ぼせ」の教義どおり
の行動となってしまいました。
 その様なアメリカの中でも共和党は、アメリカ全土の奴
隷制反対勢力が応援し、育て、そして、強固にした党でし
た。
 (ちなみに、民主党は、奴隷制を容認する党です)。
 くすぶりの中にあったアメリカは、1861年に南北戦争が
起き、リンカーンはこの年に大統領に就任しました。
 後代の歴史家が「南北戦争は奴隷解放戦争」と位置付け
していますが、、リンカーンの大統領就任演説は、「奴隷
財産を擁護する論理展開をするという演説」でした。
 何と愚かな演説でしょう。
 奴隷制について、反対するか賛成するかわからない州が
存在したからと言い訳する人たちもいますが、リンカーン
のその後の行動からみても「彼は奴隷解放の大統領」とは
言えません。
 南北戦争の戦況は、
 リンカーンの奴隷解放への意思がなく、不決断もあって、
また、軍の首脳部の腐敗もあって北部軍は敗北が続きまし
た。
 北部のシンボルである首都=ワシントンが、陥落する危
機に、さらされる緊急事態にもなりました。
 この状況を救ったのが、黒人の黒人奴隷解放戦士『フレ
デリック・ダグラス』でした。
 奴隷解放に不決断だったリンカーンは、黒人の軍への参
加をも容認していませんでした。
 フレデリックは、
 「黒人奴隷も、自由黒人も、黒人を軍務につかせよ」・
・と、訴えました。
 「奴隷に対する自由が、今こそ国会議事堂から全戦場の
砲焔の空高く宣言されなければならない」・・と、叫びま
した。
 「黒人を軍務につかせよ、そして黒人解放軍を組織せよ。
かれらは南部に進軍し、奴隷たちの間に解放の旗を揚げる
であろう」・・と、世論に訴えました。
 愚かにも、
 首都ワシントンが陥落の事態になっても、
 リンカーンは、
 「黒人奴隷は漸進的に解放したい、
 一気に解放という事はしたくない」の意思でした。
 また、リンカーンは、
 卑劣な事に「解放された黒人はアフリカかどこかに植民
させたい」と考えていました。
 黒人の方たちを捨てるということです。
 「棄民」の考えです。
 当然、黒人の方たちからは、強い反対の声が沸き起こり
ました。
.
(追伸)
 本シリーズを書き始めるにあたって・・・、
 今のアメリカの原点は、独立戦争で勝ち得た国の形と共
に、
 そして、第二の大切な原点が、
 「現在のアメリカ政府をたどって行くと、『南北戦争時
の北軍政府』へと行き着く」。
 それ故に、アメリカは、
 当時の北軍の最高の位置にいた『リンカーン大統領』を
誇りとし、
 この時の理念を「美しくしていたい」という気持ちが強
い。
 それ故に、そのリンカーンに関して、
プロパガンダ(嘘宣伝)する点が少なからず見られ、存在
する。
 そのプロパガンダ(嘘宣伝)されたために見えない「隠
された真実」は、
 世界の善良の方達のために、
 明らかにされねばならない。
 明かされなければならない。
 それは、回り回ってアメリカ合衆国のためにもなり、
 また、これからの人類の行く末にも貢献すると確信する。
.
   (詳しくは、以下のブログへ)
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酋長の想い

 投稿者:酋長の娘  投稿日:2013年 8月19日(月)02時32分54秒
返信・引用
   題: 酋長の想い
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)

.
スー族酋長のことば
  (アメリカ開拓民と遭遇した
           先住民スー・オグララ族の言葉)


広々と 開かれた、
 どこまでも 広大な 平原や、
 ゆるやかに 起伏を描いていく なだらかな丘や、
 曲がりくねって 流れていく 小川は、
 わしらの目から見れば、
 少しも 野蛮では なかった。

 ただ 白人だけが、
 自然を 野蛮だと 思っていた。
 ただ 白人にとってだけ、
 大地は 「荒れ果て」、
 動物たちは 「獰猛で」、
 そこに住む ちっぽけな人間どもは 「野蛮」だったのだ。

 わしらには、
 大地は 優しく、
 寛大だった。
 わしらにはそこに、
 「大いなる神秘」の 恩恵に 満たされながら、
 生きている。

 そういう大地が 「野蛮」になってしまったのは、
 東部から 毛深い人間どもが やって来て、
 気違いじみた 乱暴さで、
 わしらや わしらの愛する 家族に、
 不正を 重ねてからのことだ。
 そのとき 以来、
 彼らが近づくと、
 森の動物たちも、
 こそこそと 尻尾を巻いて、
 逃げだした。
 わしらの土地が、
 「野蛮な西部」などと 呼ばれるようになったのは、
 その頃からの ことなのだ。
     ・・ 「インディアンの言葉」 紀伊国屋書店

☆ キリスト教の理想的世界を実現しようと
 新大陸に渡ってきたピューリタン
 勤勉を美徳とする ピューリタン精神
 初期の移住者は
 当初
 アメリカ土着のインディアンと
 和平条約を結び
 生活の仕方を教えてもらい
 学ぶが
 その恩も なんのその
 その後
 西部開拓における
 インディアンの殺戮行為を
 行うこととなる。

☆追記
  ( メイフラワー誓約 :アメリカ最初の憲法 )
 最初にアメリカにやってきた人々
 キリスト教信仰の自由を求めてやって来た人々
 ピューリタンによってつくられた
 最初の憲法は
 アメリカ原住民を欠いた
 また
 アメリカ原住民の意志の
 全く入っていないもの
 条文主旨は
 キリスト教信仰のため
 植民地を 建設したい とする
 キリスト教の神が介在する 契約としている
 条文内容は
 アメリカ原住民に配慮した記述は
 全くない
 憲法作成者たちだけで
 都合のよい国を
 つくりたいと 誓っている
 そして
 その公平性と 平等性を 誓っている。
 アメリカ原住民が欠けた
 この契約は
 共同して
 結果
 土地を収奪し
 自分たちだけで
 都合のよい植民地を
 得たい・得よう との感じに
 なっている
 この契約に 参加している人たちは、
 多数決主義を とっているが
 乗船者数100名以上のうち
 本契約参加者数は 41名と多数を
 形成していない
 また
 契約した人たちの国は
 イングランド(英国)だけでなく、
 フランス
 アイルランド
 スコットランドと なっているため、
 特に 契約が必要と感じたのだと思われる
 (同船したけれど・・)
.
  (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
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幸せを感じた 話

 投稿者:幼子の声  投稿日:2013年 8月18日(日)02時20分37秒
返信・引用
   題: 幸せを感じた 話
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)

幸せを感じた 話 :

   町をゆっくり
        考えながら
                歩いていると、
     どこからともなく
                 可愛い幼い子の声。

     「あーぅあーぅあーぅ」。
                     リズムもある。
     ゆっくりした、
          可愛いその声は
                  近くに聞こえている。
                     そして、
                   近づいて来ている。

    幸せな図は その後に見られた。

    すれ違った男の人の
                背に
                  可愛い声の主は居た。

    小さい幼子は
          お父さんの背に
                  すっかり隠れていた。

    お父さんの背で
           背負い帯の中で
               大の字になり、
                     顔を上に向け、
    お父さんの
         ゆったりした歩みの
                     リズムと、
             背負い帯の
                  クッションが
      幼子に
          心地よいリズムと
                     揺れを与え、
      父の背に居る
               安心感と共に、
         この可愛い
              心地よい声は
                    発せられていた。

    そして、
       その声は
           父へ語り掛ける様にも聞こえ、
                父と子の会話・
                     心の通い合い
                         と共に
           声は
                遠ざかって行った。

       幼子の
          心からの満ち足りた声の
                     余韻が残った。

     行き着いた
           先で、
             その事を話すと、
                   ひと頻り
                   話が持ち上がり、

         みんなで幸せな
                   気持ちになった。
.
  (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/
 

毎晩・・母にぬくめられていた石・・

 投稿者:ぬくめられていた  投稿日:2013年 8月12日(月)13時01分36秒
返信・引用
  ☆題 : 《毎晩・・母にぬくめられていた石・・・
               思わず涙した記事・・・》:

 どんな薬より母の「手当て」の効く時期が、わが娘たちにも
あった。
 手当とは文字通り手を当てるだけのこと。
 ただ、はああっと息であたためてから「治る治る」とおまじ
ないをして当てるところがミソであった。
 夜中にせき込んだときには、抱き寄せて胸と背中を挟んで擦
った。
 体温を移すようにゆっくりと。
 静かに呪文を唱えながら。
 娘の小さな体がぽおーっつとあたたまっていく。
 私も少しずつ汗ばんでいく。
 母娘の体温が同じになるころ、娘は再びくったりと寝入って
いる。
 朝まで様子をみて、寝起きが悪いようなら医者へ。
 だが、そのままけろりとしてしまうこともまた多かった。
    (中略)。

 『 神棚に ははの抱寝(だきね)の 小石凍(い)つ
               小原啄葉(たくよう) 』。

 この句は句集「不動」所収。
 「戦地の兄の姿に似た石を川原から拾つてきて、母は毎晩抱
寝してゐた」と添え書きがある。

 毎晩母にぬくめられていた石。
 兄の姿に似ていても石なのだから、一晩中ぬくもらなかった
日もあったろう。
 石を懐に母は何を思っていたか。
 その石が、母亡き今もこの世にあって、氷より冷えているの
だ。

 「不動」は作者の第8句集である。
 あとがきに「戦争体験の作品も若干加えた。・・・、事実は
事実として百年先のためにも遺しておきたいと思った」とある
ように、
 「初夢や自決の弾をひとりづつ」をはじめ、思わず姿勢を正
す句があまた収められている。

 母の祈りは届かず、兄は遺骨となって還った。

 「かぶさりて母が骨抱く稲埃(いなぼこり)」
 遺骨が石よりあたたかかったということはあるまい。

 「兄嫁がまた藁塚へ泣きに行く」
 えにしで結ばれた人が血縁以外にいたのは、幸いであったと
も言えようが。

 「咳止めと母に抱き締められしこと」
 生身の子を抱き締めた母と、抱き締められた子。

 いにしえから繰り返されてきた母と子の至福のときが、この
母にあったことをなによりと思いたい。
                  俳人・高田正子氏
                   (日経2011・1・22)

   (「静かに呪文を唱えながら」
   ・・幼子の体温を感じながら、
     小さくせき込む幼子の動きまでも、
     敏感に思いやりの心で感じながら、
     ただただ母は
     幼子の平癒を祈っていたのだろう。

   ・・静かな夜のしじまの中を
     母の体温以外の
   ・・心からの温かさも
   ・・子に伝わって行った
             のだろう。

    また、その様にして
     成人した子が
   ・・兵となって
     寒い中にいると
     心を痛めた母は
   ・・何も子に
     起こらないようにと
         祈った。
         祈り続けた。

     かつての時の中に「今は亡き母」も居た。
     母の祈りは通じず、
     胸で温めてきた子は
     兵として 逝ってしまった )。
        (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/
 

行動の原点に・・・。

 投稿者:民からの声  投稿日:2013年 7月30日(火)15時48分29秒
返信・引用
   題:行動の原点に・・・。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 イスラエルの民に「選民思想」というものがある。
 「神に選ばれし民」という思想である。
  自民族を特権意識下に置く思想で、
 生まれて来る子供達も、否応なく、
 誰かれ構わず、特権意識に洗脳され、
 芽生えさせられ、世代を繰り返していく。
 そして、その特権意識は、一人歩きをして悪さを始める。
 そしてまた、この意識は、キリスト教と共に伝搬して行く。
 また、砂漠の地である飢餓の地で生まれたキリスト教が持っ
ていた「自民族存続のための思想」、
 隣国の富の奪い取りを『是』とする「特権思想」。
 この思想と相まって悪さは際限なく繰り返されていく。
 (キリスト教の)神の義だとして、正義とされた略奪行為の
「行動の原点」にある考え方。
 そして、キリスト教と共に、ヨーロッパへも伝搬して行く。
 ヨーロッパ人へ影響を与えたこの思想・考え方は、
 全世界の民を、『非選民の異教徒』と見て、
 異教徒とされた世界の民は、洗脳されたキリスト教徒から蛮
行を受ける。世界のあちこちで悲惨な歴史が展開する。
 自民族優先の考え方は、その逆の「異教徒は殺せ」のキリス
ト教の教義を元として生まれ、悪行為の元となっている。
 自分たちを選民だと思い込み、他民族を蔑(さげす)み、ま
た、他民族を利益を吸い取る・略奪するターゲットと見た。
 古い時代から、キリスト教聖職者が、黒人の方々を蔑んだ言
葉が記録に残っている。エチオピアの方々を、「人間ではない」
と無視し、蔑視している。それが、エチオピアでの行動の原点
となっている。
 また、南米・中米、そして、北米メキシコ、及び、それらの
離島でしでかした、キリスト教徒とそれに同行したキリスト教
聖職者たちの蛮行。何と1000万人におよぶかという悲惨な大虐
殺。
 この時も、キリスト教聖職者の「当時の言葉」が残っている。
 現地からの問い合わせに対し、聖職者は、現地の人々を「人
ではない」と、ここでもまた言っている。この言葉が行動の原
点。
 「賎民の意識」と「キリスト教の教義」で、世界中で悪行を
して来たキリスト教。そして、その歴史。
 その悪行にまみれたキリスト教の思想は、今・現在も何一つ
変わらず、存在し続けている。そして、あちこちで悪さをして
いる。洗脳するキリスト教会の悪行為。
 イエスも特権意識を持っていた人。その意識から発言した。
 民を、さ迷う羊の如くに見て(何ら、権威ある人格とは見な
いキリスト教)、その意識下での行為が続いている。あたかも、
「肉と毛」を提供する『供犠の羊』と同じ位置付けにしている。
 そして、その様な意識下で接しられ続けている。
 権威づける儀礼の中で聖職者は、自分好みに説く、
 また、自ら特別な権威付けをあらゆるところでする、
 そして、特権がある、権威があると錯覚した存在で、誤解し
た存在で、今でも、悪行為をし続けている。
     (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/
 

当時の、特殊事情の説明・話で構成されている

 投稿者:ななしのひつじさん  投稿日:2013年 7月28日(日)01時33分46秒
返信・引用
  題:当時の、特殊事情の説明・話で構成されている
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教の聖書は、「昔はこの様な状況でした」と説明す
るにすぎない本です。
 例えば、(「マルコによる福音書」2・1~12)には、中風の
病気の人が、イエスに癒(いや)されたという話があるが・・、
 これは、古代の当地では、何かその人が悪い事をした報(む
く)い、古代の当地で、決められていた律法を犯したことが、
そうした形で出て来たのだと思われていた。
 悪いことをしたから病気になるという、悪いことをした原因
の結果、病気になるという『因果律』の考え方だった。
 イエスも、この様な『因果律の考え方』を持ち、そう思って
いて、その『因果律の考え方の結果』から行動を起こす人だっ
た。
 また、当時、その人が悪い事をしてないと思っても、先祖の
人が、何か悪い事をしていれば、その結果が色々な病気などの
不幸となって現われてしまうのだ(報い・むくい)ともされて
いた。
 つまり、先祖の報(むく)いが子孫に仇(あだ)となって表
れたと考えられていた。
 このイエスの考え方は、原始の古代時代には良くある『古い
考え方』だった。
 ユダヤ教は明らかにその様に考え、ユダヤ教のイエスもその
様な宗教性に捉(とら)われ、染まっている人だった。
 故に、イエスは、この考え方に則(のっと)って行動をした。
 今・現代の考え方とは、まったく違う行動パターンだった。
 そして、人間が罪を犯しているかどうかの尺度として律法と
いうものがあった。
 一番重要な当時の守るべきものと考えられていた。
 イエスもこの考え方から「病気癒しの行為」をした。
 それは、神から与えられたものと考えられており、
 また、神の命令とも考えられていた。
 そして、神との約束とも考えられており、
 神と交わされた契約なのだとも考えられていた。
 その中には、神と人間との契約以外に、人間と人間との契約
も含まれているというおかしな所もあった。
 その様な考え方から、守らねばならない契約として古代人の
この頃の人は『この律法』を重要視した。
 故に、その中風の本人か、または、その中風の人の先祖の人
かが、律法を破っていると考えられいて、この様な病気になっ
たとされた。
 律法を破っている者は、神に喜ばれない者であるとされ、そ
して、そう考え、この様に、律法は非常に怖い報いがあり、だ
から、その怖さから逃れたい、報いを避けたいという気持ちか
ら、律法は守らねばならないもの、守るべきものとされていた。
 イエスの活動は、この様な、古代の観念の中で行なわれた。
 以上の様な、現代には無い、色々な細々(こまごま)とした
事情の説明を受けない限り、そのほとんどが理解できない、理
解不能な、当時だけの特殊な事情の下(もと)での話だった。
 キリスト教の聖書は、この様な、古代の特殊事情の説明・話
で構成されていて、だからその当時の古代は、「こうしました」
と、その説明があるという本なのである。
 現代とは、まったく、異質な次元の話で、
 その特殊な事情ゆえ、
 今・現在では、何ら得るべき様な所は無いといえる。
 結局、古代の、針の先で突(つつ)く様な特殊な事情のもと
で、イエスが、その特殊事情で「ああした」「こうした」とい
う話なのである。役に立つような所はない。
      (詳しくは、以下のブログに)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
URL: http://moppo28.blog.so-net.ne.jp
 

伝道活動について

 投稿者:ぽんぽこりん  投稿日:2013年 5月21日(火)17時05分27秒
返信・引用
  題:キリスト教の伝道活動について
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教の実体が判らなかった明治維新は、
 西洋のすぐれた学問などの知識を得たいの機運から、
 日本人の優れた特性「進取の精神」から、
 西洋の学者や教師を招いて『何でも学ぶ時代』だった。
 何でもかんでも勉強しよう、学ぼうの日本の民だった。
 その様な時代は、「西洋の総べてが良い」の気運で、
 その時代の想いからキリスト教もよいと思った。
 それ故、進取の思考の明治の学究の徒の人たちは、キリスト
教も一生懸命に学んだ。
 そして、まだ、よく分からない内にキリスト教化した人もい
た。
 しかし、今現在、キリスト教の事が、種々、分かってきた時
点において、
 また、最近の聖書学などのキリスト教研究において、
 それらの研究成果の情報から、キリスト教の問題点が、
種々、分かり、明らかとなって来た。
 しかし、それ故、キリスト教は、プロパガンダ(キリスト教
は素晴らしいという嘘宣伝)に専心している。
 その為もあり、その悪さ加減が隠されているけらいがあった。
 今、西洋・ヨーロッパは、脱キリスト教が、大分、進んでいる。
 アメリカにおいても、知識層は、特に、脱キリスト教の状況と
なっている。
 それ故、キリスト教側も、教勢の維持の行動を強く行なって
いて、例えば、学校などの場でのキリスト教教育について、問
題が多発し、裁判事例も多い状況となっている。
 その多くで公正な宗教教育が大義である事により、キリスト
教側の敗訴が続くという状況の中にある。
 その様な現状の世界の中で、日本においても、活動や働き掛
けがある。
 例えば、NHKを利用したキリスト教の巧妙なる伝道行為が
多く見られる。
 以下は、その事例の1つ。
(参考)しん‐しゅ【進取】 みずから進んで物事に取り組むこと。
「―の気性に富んだ人」
(参考)がっ‐きゅう【学究】 もっぱら学問の研究に携わること。
また、その人。「―の徒」「―肌の人」
.
ーーー1事例ーーーー
題:NHK、キリスト教に偏する放送をし続けている。
.
 拝 啓、
 御仕事、ありがとうございます。
 下記はNHKへ送信した文です。
 NHKは、何度、申し上げてもキリスト教に偏しています。
 (キリスト教の美化行為と他宗教の侮蔑行為)をする放送を
し続けています。
 キリスト教の『巧妙なる伝道』行為となっております。まっ
たく改まりません。
 是正するように促していただけないでしょうか。
 よろしくお願い申し上げます。         敬 具
 ーーー(NHKへの送信文)ーーー
 題:NHK、キリスト教に偏する放送をし続けている。
.
 2013・5・18、NHKラジオ第一、am4:05~、番組名:「ラ
ジオ深夜便、明日への言葉・ハンサムに生きる」、話者:佐伯
順子氏(同志社大学大学院・教授)、アナウンサー:中村宏氏
(NHK職員、明治学院大学卒)、
 NHKは、キリスト教に偏する放送をよくしますが、今まで、
その数々の行為を指摘させてきましたが、改まりません。
 本日の標記の番組も、この類いの放送でした。
 内容は、NHKが、日曜日の大河ドラマと銘打ってNHKが力を
入れて放送しているドラマの主人公の「八重」を絡め、キリス
ト教を美化する、偏した放送内容でした。
 結局、放送内容は、「キリスト教の巧妙なる伝道行為」と
「NHKの番組宣伝」でした。
 NHKは、キリスト教系の大学教授を話者にして、「キリスト
教の巧妙なる伝道行為」を放送することが非常に多い状況です。
 本番組もそうですが、この様な行為、NHKという絶大な影響
力を持つ公器を、あたかも私物と化し、
 キリスト教の伝道行為をするNHK職員もキリスト教系の大学
を出身とするNHK職員が多い状況です。
 「キリスト教を美化し、その他の宗教をを卑下する放送」。
まったく一面的な見方を、さも正しい様に言います。
 その様な話を大学教授という話者に話させる。
 キリスト教は愛の宗教、キリスト教以外の宗教の愛は、女性
の立場を認めていない。
 他宗教は女性を抑え込んでいると言う。
 まったくキリスト教だけを美化する偏した言い方だ。
 キリスト教聖書を読めばわかること、キリスト教でも兄弟で
殺し合い、親を裏切るなど、「愛あるべきところに愛がない」
という記述などが一杯ある。
 「キリスト教の愛だけが正しい愛だ」と断言する話者。まっ
たく酷い偏った言い方だ。
 まったく洗脳的にNHKの放送媒体を利用して伝道する。
 「平等のキリスト教だ」と美化・宣伝・伝道行為の話が続き、
その類いの話に満ちている。
 仏教にも「平等院」という建物があるのを1例の様に,平等を
説く。
 他の宗教を、この話者は「全くない」と断言し、卑下し放送
する。まったく偏っている。
 他宗教は、あたかも古来の愛だ、駄目なのだという悪印象を
植え付けようとしている。
 キリスト教に関しては素晴らしいの話ばかり。
 他宗教は封建的だという言い方。献身の愛だというが、キリ
スト教もこの愛は説いている。
 キリスト教以外の他宗教は、それが虐げられているという印
象を与える言い方。
 他宗教は古いという印象を与える言い方。
 押し付けられている愛だとは、まったくの言い過ぎ。
 虐げられた愛だとは全くの言い過ぎ。
 他宗教は、キリスト教より劣っているのだと思わせ、洗脳する
言葉。
 キリスト教だけが平等で正しいのだとの独善の話。
 NHKの公共放送で呆れる内容。
 NHKも編集すべき、カットすべき内容を、そのまま放送電波
に乗せてしまったという内容。
 だから八重はキリスト教に引かれたのだと何度も言う。
 NHKの偏頗なキリスト教美化の放送はよくあり、仏教など他
宗教の話は全くない偏した放送状況にあります。
.
(追伸) 明治の人が維新の時、西洋から学んだ事が、今の学問か
ら見れば、悲しいかな陳腐化している。これは止む得ないこと。
 同様に、明治のキリスト教研究も同じことが言える。同様な
レベルなのです。
                (詳しくは下記へ)
参考URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
  URL: http://moppo28.blog.so-net.ne.jp
 

矢来の外へ逃げられる様にしていた

 投稿者:ぽんぽこりん  投稿日:2013年 5月21日(火)00時40分50秒
返信・引用
  題: 矢来の外に逃げられる様にしていた・・・
.
 江戸時代初期の頃のルソン(フィリピン)。
 キリスト教聖職者のルイス・フローレスは、
 長い間、
 現地の人々に布教活動をしていたが、
 それほど成果が上がらないため、
 許可を得て、
 マニラの修道院に来て、
 「祈りと読書」の生活を送っていた。
 その様な時、
 日本で、宣教師が捕えられたというニュースに接した。
 その時、彼は、
 日本に行って同じ様な事をしたいと思った。
 「労苦を重ね、そして、死を味わいたい」と。
 管区長も許可を出し、
 「日本にある聖遺物(殉教した人の死体)を手に入れたい、
そして、手に入ることを喜んだ」。
 日本は、キリスト教の禁教令が出ていて入国してはいけない
時代だった。
 管区長もその事は知っていた。
 この頃の長崎奉行は、幕府の方針に厳格と言っていいほど、
忠実だった。
 幕府の方針は、『棄教をする者の命は奪わない』という方針
だった。
 奉行は言った「キリシタン(信仰)を棄教するなら、自らは
将軍様から権能と職権とを与えられている故、その名によって、
誓って生命は助けよう」と。
 これを、キリスト教は「甘い言葉で棄教を勧めている」とし
た。
 さらに、奉行が「棄教さえすれば釈放するだけでなく栄誉や
利益を与えよう」とも言ったが、この言葉も無視した。
 死に憧(あこが)れていた。
 殉教願望である。
 キリスト教の教え・教義、そして、その洗脳に縛られていた。
 幕府は「むやみにキリシタンを殺したくない」との姿勢であ
ったのにである。
 キリスト教の報告文には、死刑を宣告された場合、「喜悦を
表した」とある。
 しかし、これは、報告書の作成者がキリスト教の聖職者であ
ったので、本国への報告記述の美化があったと考えられる(識
者指摘)。
 また、キリスト教が、殉教をこの上なく美しく洗脳したため
とも考えられるが、日本からの報告公開するにふさわしい様に
美化したことは十分に考えられるとされている。
 いずれにしても、
 「嘘で美化したもの」か、「過剰な洗脳」かである。
 また、キリスト教は殉教される時、「身動きせぬまま死亡す
る様に」と言っていた。
 また、殉教者以外の者は、「殉教した時に、奇蹟が起きたと
言う様に」と言われていた。
 また、「殉教者の死体は聖遺物だ」と言われていた。
 あまりにも、キリスト教が、殉教を讃美し、刷り込みをする
ため、殉教場所に「子供を連れて来る殉教者」も居た。
 「殉教に与(あずか)ることができますように」と。
 幕府は、殉教者を縛り付けている縄目を、ゆるくして、
 火刑の場合、耐え難く思えば、縄を抜け、矢来(囲い)の外
に逃げられる様にもしていた。
 キリスト教のプロパガンダ(嘘宣伝)で、悲惨な印象が形成
されているが実態はこうであった。
 キリスト教は禁教であっても、最初、江戸幕府は、キリシタ
ン(信仰)は黙認していた。
 キリシタンの摘発をしようとはしていなかった。
 秀忠が家光に将軍位を譲って後に、キリスト教の信仰が禁じ
られる様になった。
 世の中は、宣教師の従者が、褒美欲しさに訴え出るという様
になった。
 また、江戸の町人は、キリシタンが近くに居ることを恐れた
りするようになった。
 また、旅籠屋では宗旨が尋ねられる様になった。
 一方、キリスト教は、殉教にあった場合、火の中でも決して
身体をくねらせたり、曲げたりせず、
 また、悲鳴を上げたりせず、
 苦痛の表情を浮かべるなとの教えていた。
 識者は、これもキリスト教の報告書の記述の関係もあるため
実態がこうであったかは分からないと言う。
 学術的に、キリスト教のこの類(たぐ)いの報告書は、歴史
的資料としての価値・品位は低く扱われている。
                             (下記を参照下さい)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
URL: http://moppo28.blog.so-net.ne.jp
 

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